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- 1月27日
- 4 分
炭素の土壌蓄積は温暖化防止にならない??
写真は、約10年前の西尾道徳さんの環境保全型農業レポートからのものですが、今だからこそ抑えておきたいとても大切なことが書いてあるように思います。 有機物が畑に蓄積し続けても、長期的な土壌炭素貯留には効果がないということです。 このレポートを読んで「すきこまない場合だったらどうなのだろうか??」「耕さない場合だったらどうのだろう??」というような考えが頭に浮かびましたが、不耕起栽培の場合においても炭素蓄積の効果が永続しないことは同様であることが、文中リンクの農水省の報告書に書いてありました。(以下『』内引用) 『不耕起栽培は、雑草の繁茂による除草労力や除草コストの増大、湿害の発生、粘 土質土壌における土壌孔隙率の低下等土壌物理性の悪化、水田における漏水等のデ メリットがあることから、我が国では、水稲、麦、大豆で不耕起栽培の実績はある ものの、総じて普及率は低く、普及面積の大きい麦であっても、その普及割合は1% 程度に過ぎない。
なお、近年、不耕起栽培に係る試験研究等が進み、一定の土壌条件、気象条件等 の下では、慣行栽培と同程度の収量水準が確保される


- 1月24日
- 1 分
お花が足りない。
うちは配送用の野菜ボックスに季節のお花も一緒に詰めているのですが、この時期は、うちの手持ちのお花があまりないので、お花が足りなくなりそうなことを憂いていたりいます。 とはいえ、販売している訳でもなく、お届けを約束しているものでもありませんので、野菜が足りなくなることよりは深刻度は低いものです。 そろそろ梅が咲き始めたり、マーガレットや水仙が咲き始めたりと、賑やかになってきそうですからもう少しの辛抱かな。 野菜たちももう少しで蕾や花が立ち上がり始める季節になります。 色鮮やかな花々が咲き誇り、畑に彩色が加わりはじめると、冬景色との明らかな違いもあってか、自然が生き生きと躍動しているかのように感じたりします。 そんな風景を見ていると、心が澄み、とても豊かな気持ちになります。 花と草の季節、たまらなく待ち遠しいです。


- 1月22日
- 3 分
カブリダニはハクサイダニの天敵なのか??
ハクサイダニ、今年もとても少ないです。 個体数は数えられる気がしないので正確な数は分かりませんが、減少記録をさらに更新したことは確実だと思われます。 一時、とても怯えていたことが嘘のように、もはや気になる虫でなくなってきています。 「もしかしたら全国的にそうなのかな??」と思ってさらっと調べてみましたが、いまいちよく分かりませんでした。 しかし、僕の数年前に書いたハクサイダニ対策についての記事のPVが例年同様に今年も跳ね上がっていますので、変わらずに困っている人もそれなりに多いのであろうと推察しています。 先日、「カブリダニ(野菜に害を与えるダニの天敵)が畑に増えるとハクサイダニが減る傾向にあるのではないか??」という考察をされている方の話を研修生から教えてもらいましたが、もしそれが事実だとするならば、おそらくカブリダニが過ごしやすい環境であろう当園の畑で年々減少傾向にあることと辻褄が合います。 しかし、個人的には、「カブリダニはハクサイダニと違って冬の露地ではあまり動けないだろうな……」と考えますので、その説の可能性は大分低そうな気がしています


- 1月20日
- 3 分
六花亭、坂本直行さんを経て考えた、畑の自然感と情報伝達について。
いつもお世話になっている方からの北海道土産で六花亭のチョコレートをいただいたことをきっかけに、最近、坂本直行さんの著作「原野から見た山」を読みました。 以下、冒頭の一文の引用になります。 「山はどこから眺めても、またいつ眺めても美しいものだ、ということについて異 論をはさむ人はないだろう。
しかし登山者の眺める山とそうでない人の眺める山とでは、少しへだたりがある と思うし、あるのがあたりまえであると思う。勿論この両者は、各々ちがった美し さを山に対して感じているにちがいない。「山を知らん奴に山がわかってたまるか」 といううぬぼれはたしかに登山者共通のうれしいお目出度さのように思う。
登山者でないある僕の友人は
「俺だって登山者ではないが、山の美しさぐらいはわかるよ」
「そうか、だが惚れて眺める女の美しさと、無関心で眺める女の美しさとはちがっ たものである筈だよ」
「うんおめぇうめぇこというな」
「アバタもエクボというからな」 ……… 素朴でとても良い文章です。 今日はこの文章を題材に話を広げていこうと思います。 僕は山に関わる仕事をしていたこと


- 1月14日
- 2 分
キノコとリグニンとstable diffusionと。
先日、農仲間と、リグニンとキノコの話しに花が咲きました。 個人的に興味のある分野の話しですし、そのことについて普段考えを巡らせていたり、勉強したりする機会も多いのですが、話していけば話していくほど、質問を受ければ受けるほど、結局何も分かっていない自分を認知し、興奮するような喜びを覚えました。 「知った気になっている」をちゃんと理解できた時、僕はいつも嬉しい気持ちになります。 言葉の意味や役割の大枠は抑えているからといって、分かった気になっていることがいかに多いかということに日々気づかされますが、人とのコミュニケーションや議論は、自分の無知度をつまびらかにしてくれることが多く、自尊心や自意識など、過剰に守っていても仕方がないであろう部分の防具を簡単に剥ぎ取ってくれることも多いので本当に良いなと思います。 それはそうと、この度のことをきっかけに色々と調べものをしていくなかで、世界最大の生き物はキノコということを知り、とても驚きました。 どこをベースにするかによっても変わるのかもしれませんが、最大の生物はシロナガスクジラだと思っていました。 オニナラタ


- 1月12日
- 1 分
密植しすぎ、間引き遅れすぎだったかもという気付き。
人参がとてもよくできています。 全体的にいつもより疎植気味(株間10㎝程度)に栽培したこともあって、「太り過ぎたり割れたりしてしまわないかな??」というような思いが頭の隅の方にありましたが、結果、いつもよりも歩留まり高そうです。 昨年は、作物全体に対し、適正株間や間引きのタイミングを考えなおして作業を組立てましたが、全体的に好結果も多いことから、「自分は今まで密植すぎ、間引き遅れすぎだったのかもしれない……」というような、初心者みたいなことを考えています。 「もう何年やっているんだ」という感じで、己の観察力とセンス不足に辟易しそうになりますが、その一方、基本の学び直しを実感できたことを大変嬉しく思っています。 それにしても、今日も晴天が気持ち良いです。


- 1月9日
- 1 分
しわしわのじゃがいもの価値
自家消費用の貯蔵じゃがいもたち、芽がニョキニョキです。 そのフォルムから、もやしみたいに食べらそうな気すらしてきますが、食べたらえらいことになってしまいそうですから、それは止めておこうと思います。 春に掘ったじゃがいもは、貯蔵温度をコントロールせず、芽摘みもしないでこの時期までおいておくと、このような姿になってしまいますが、このしわしわになったじゃがいもの食味が僕はとても好きです。 皮を剥くのも手間がかかりますし、姿も姿ですから、売り物としてはお出ししていないのですが、とにかくもっちもっちで甘くて美味しいのです。 貯蔵の奥深さを感じさせられます。 プレミアム化された、2年熟成じゃがいもなんてものが世の中に存在している理由がよく理解できます。 それはそうと、じゃがいもたち、物凄い生命力です。 僕は、「生き物として見た時の野菜の力強さ」に、いつも気持ちの高揚感を覚えます。 息づく気配というかなんというか、野菜からそういうものを強く感じられるような瞬間が僕はとても好きです。 人間でも動物でも虫でも草でも菌でも「生き物の力強さに惹かれる」というような極シ
- 1月6日
- 1 分
1月出荷予定のお野菜
かぶ、人参、大根、小松菜、水菜、壬生菜、カボチャ、キャベツ、ブロッコリー、 カリフラワー、白菜、ねぎ、里芋、さつまいも、ほうれん草、ごぼう、菜花、黒キャベツ、 ケール の中から7~10品程度 ※月頭時点での1ヶ月の収穫予定品目になりますので、途中でストックがなくなってしまうものや、後から新しい品目が加わったりすることもあるとは思いますが、「今月はこんなものが採れそうなのか(送られてきそうなのか)〜」のような感じで、送られてくるお野菜セットのイメージを膨らませていただければと思います。 ご注文時の参考にしていただければ幸いです。


- 1月6日
- 3 分
2023年の仕事始め
明けましておめでとうございます。 今日から仕事はじめです。 年のはじめって「今年は何をしてやろうか」とか「何をやらないようにしてやろうか」みたいなことをついつい考えてしまいます。 いくら考えた所で、正解が導き出せる訳でもないですし「これから先どう生きていくことが最適解であるのか??」というようなことが分かる訳でもないのですが、他人や社会の声、義務などなど、時に自らの感性と真逆に働いてしまうことのある外部要因の持つ力になるべくうろたえないで生きていくために、自分の欲求を整理、棚卸しすることはとても大切なように思いますので、僕は節目節目で、今の自分にしっくりくる感情を再確認したり、やりたいこと、やりたくないことをざっくり書き出すようにしています。 それは、僕にとって、とても有意義な行為であり、どこかほっとできるような感覚があるので、そうするようにしています。 社会心理学に認知的不協和理論というものがありますが、これは、 「人は自分の思考と行動が一致していない時に、その不快感を解消するために、つじつま合わせや言い訳や自己正当化をしようとする」 という人