「草がやたらと生えているけれど、なんだか綺麗と思える畑」という新しい概念



最近、立て続けに「綺麗に畑をやっているね~」という声をかけられました。


(ここ1週間で全然違う文脈の方5名くらいから。)


通りすがりの方にそんなことを言われる機会は普段なかなかありませんので、まるで狐につままれたかのようです(笑)


これが何を意味するのかはわかりませんし、そもそも意味なんて何もないのかもしれませんが、見知らぬ人にわざわざ声をかけてまで伝えようと思うくらいに直感的にそう感じてくれたのであれば、僕にとって悪いことは一つもなく、むしろ喜びしかありません。


ただ、普段あまり言われないようなことをよく話したことがない人や見知らぬ人に立て続けに言われたりすると、「何か意味のある天からのメッセージなのでは??」みたいに聞こえてきてしまって、無理やりそう解釈しようとしているのかもしれない??という可能性の中にいる自分に滑稽さを感じたりもしています(笑)


また、「なぜそんなに意味をつけたがるのか??」という自己感情の俯瞰を楽しませてもらっています。


そこに大した意味なんてないかもしれないのに…


「人は自分の欲求を満たすために、目の前の出来事に価値や意味をつけたがったり、自分の満足できる解釈に落とし込めることで自分の心を落ち着かせることができる生物なのかもしれない」などというようなことをぐちゃぐちゃと考えています。


「人は自分が見たいと思う現実しか見えない」という格言をカエサルが残していますが、もしかしたらこの手の反応もそういうものと似たような部分があるのかもしれないな〜とも思いました。


無意識化の本能的自己防衛とでも呼んでおくとしましょう。