「誰のせいでもない」に落とし込むことは難しいのか?




今日のBlogは、農業と全く関係のない内容で


「健康診断の結果が届かなかったので、関係機関に問い合わせていったら、ポカした存在として扱われたような気がしてしまって、行き場のない感情をどこに持って言ったらわからなくなって複雑な気持ちになった」というお話です。

本日もお楽しみいただけたら嬉しく思います。

僕は1ヶ月前くらいに健康診断を受けたのですが、いつまで経っても結果が届かないので、「一体どうしたのかな??」と思って、先日、病院に確認の電話をしてみました。


病院

「えっ、3週間前にお送りしましたが」

久保寺

「えっ、まだ届いてないのですが…」

病院

「お調べした所、確実にお送りしています。問い合わせ番をお教えしますので、郵便局にご確認してもらってもよろしいですか?」

久保寺

「分かりました。それでは郵便局に問い合わせてみます」

病院に電話をかける前にも「本当に届いていないか?」ということを再三確認しましたが、念のため再確認。

やっぱり発見できないので、郵便局に確認することに。

この時点での僕の思いは、「発送後、すでに3週間が経過しているということが分かっていることもあり、正直な所、確認した所で見つからないだろうな~」という感じです。

ただ、もしかしたら「配送漏れしてました~」みたいなことがないとも言い切れないしな、と思ってダメ元でかけてみる。

病院は確実に発送済みのようなので、僕が紛失している可能性もゼロとは言い切れないということもお伝えし、調査を依頼。


郵便局

「ちょっと確認してみますね。もう3週間も前のことになるので、その時のスタッフが覚えているかどうかわからないのですが、一応確認をとってみます」

久保寺

「お手数をおかけしてすいません。よろしくお願いいたします」

郵便局

「調べてみた結果、やはり覚えていないようでした。しかし、うちは確実に配達していると思います。なぜならログを確認したら、該当の日の配達完了時間に担当スタッフが久保寺さんのお家のあたりにいたことになっているので…」

久保寺

「そうですか…。調査いただきありがとうございました。それはそうと配達員さんのログをとっているのですね??」

郵便局

「はい。そのようにしております」

久保寺

「そうですか。配達も完了処理されていたとのことですから、お届けいただいた可能性が高いのですね…。でも、やはり届いたことが確認できてないんですよね……。と、まぁ、そんなことをこのタイミングで郵便局さんに言っても仕方がないですよね(笑)すいませんでした。」

郵便局

「お力になれず申し訳ありません。」

久保寺

「いやいや、余計なことを言ってすいませんでした。改めて、お手数おかけして申し訳ありませんでした。ご対応いただきありがとうございました」

このやりとりで最も印象的だったことは、「ログとってるのかすげーな」ということですが、その次に、僕は僕でまじで届いていないと思っているので、なんともやり場のない感情に襲われる。


こんなことは今まで一度もなかったですし、我が家は、届いた書類やものを整理できないような状態にはなっていないので、余計にそう思ってしまいます…。

「歴史を勉強して分かることは、今まで起きたことがないことがこれから未来永劫起こらないとは限らないということ。」というガンジーのセリフを思い出し、「前例がないからといって自分本位で考えるな!!」と自分に言い聞かせてみるものの、依然としてもやもや感は半端ない。

これは僕の被害妄想かもしれませんが、郵便局さんとのやり取りの中で、「あなたがなくしただけでしょ??うちは完全に届けたからね…」というような空気感を言葉尻から感じてしまったこともあり、「おいっ、気持ちの落とし所に困っているのか??」と自問自答(笑)


(めっちゃ丁寧にご対応いただけたので文句は一切ないですし、大変ありがたいと思っているのですが、何だか言葉のニュアンスからそういう感じに受け取れてしまって…)

その後、病院に再発行依頼の電話をすると

「〇〇日に届きますので、ちゃんとその日中に確認するようにしてくださいね」と強めに念を押され、まるで、「次は無くさないように気をつけてくださいね。」と、寝ぼけた老人でも相手にするかのような感じを受けてしまった(笑) 


これも被害妄想か?気のせいか?(笑)


別に自分の過失と思われること自体に関しては特に気にならないですし、僕が寝ぼけ野郎として人に扱われることは何の問題もないのですが、両機関から、おめーが無くしたんだろというような空気感を受けて、なんだか複雑な気持ちになってしまいました。


「不確かなことだったとしても、誰のせいでもないという所に落とし込めないのか??」 「いやっ、むしろ自分のこういう感情さえなければ、すでに落とし込めているのかもしれない??」 と、どうでもいい謎の思考のループにハマる。

■自分は正しい症候群。

今回のケースでは、自分は正しい症候群の利得型(自分の利益最優先でひたすら自分の正義を主張)or 自己愛型(承認欲求爆高による、自分の価値観や正当性の主張)のような感じになっている人がいないコミュニーケーションの形でしたが、仮に僕が、自分は正しい症候群の人間だったとしたら、「じゃあなんでないんだよ。俺は無くしてないんだからどこかで誰かの過失があったはずだ!!」みたいになったりすることもあるのでしょう。


また、自分に否が向けられたことで怒ったりしだす場合もあるでしょう。

コミュニケーションの輪っかにそういう人が一人でもいるとなかなか大変なものです。




それはそうと、僕は今回のことで、「責任の所在を含め、不確かなことを明らかにしようとすることが必ずしも良い結果を生まないこともあるのかもしれない」、ということと、「人は知らず知らずのうちに知的かつ優しい言葉で、人を貶めてしまうことがある」ということを感じました。

自分も人に対してそうならないように気をつけたいなと思いました。

気をつけてても難しいところもあるのでしょうが、なるべく心がけることはした方が良さそうだなと思っています。

また、今回、僕が勝手に被害妄想を拡大させてしまっただけなのかもしれませんが、コミュニケーションって、「そんなつもりじゃなかったのに…」、と、聞き手に全然違う形で解釈されてしまうこともあるので、今回の出来事で出てきた僕のもやもや感情を、郵便局や病院の対応してくださった方にお伝えしたとしたら、「いやいやそんなつもりで言っているわけではない」となるのだろうと思う。


しかし、僕はそういう風に聞こえてしまったし、なるべくフラットにも見ようとしたが、そういう風に感じてしまった。


突発的に思ってしまったことに対し、「そんな風に思ってはいけない」と考えるのもちょっと違うと思いますし、まずは「正直にそう思ってしまった、感じてしまった」ということに対し、「今後、それをどのように考えていくと良いか?」ということを自身に問うことが、己の感情に対しての誠実な向き合い方なのではないかと思っています。

このような感情は極めてアンコントローラブルだから、それも含めて理解しようとすることはとても大切な行為のように思います。


今回、僕の過失かもしれないということをあらかじめ伝えてからやりとりを始めたものの、いざ「無くさないように気をつけてくださいね」みたいな展開になってしまって、複雑な気持ちになったというお話でしたが、なんだかめちゃくちゃ勝手な話だな~と思い、己の心の未熟さと器の小ささを恥じました。


コミュニケーションは片側の論理だけでどうにかできるものでもないので、どうしても問題発生が多くなってしまう傾向にありますが、だからこそ「人間は皆違うから、それぞれの感情や知恵をシェアすることでお互いを理解しようと努めたり、知を前に進めていこうと励むのだろう」と思いました。

この度の一連のやり取りで、そのようなことを深く感じることができたような気がして、ますます人の感情や挙動についての考えを深めていきたいなと思いました。

日々の出来事はなんでもおもしろし。


※今回の一連の話を妻にした時に、「そんな人の嫌な部分にフォーカスした話は聞きたくない」と言われて、「いやいや、そんなつもり全くないんですけど…」、という齟齬が、今回もっとも僕の心を打ち砕きました(笑)



※再発行してもらった健診の結果は無事に受け取りました。めでたしめでたし。





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