もの作りに生活が馴染んでいく感覚
最近、ものづくり(野菜作り)に生活が深く馴染んでいっているような感覚を覚えていて、生きていることと働くことががっちりと噛み合って充実感を覚えさせてくれるというかなんというか、同じように尊いものとして認識できるようになってきている気がしています。
もちろん、相変わらずうまくいかないことも多いですし、分からないことだらけですけれど、出来事や物に触れた時に得られる感覚的情報の解像度の高まりを確実に感じていて、何も考えずとも無意識に判断できるようなことが、農業を始めた当初から比べると圧倒的に増えている実感があるので、一種の一体感のようなものを感じているからなのかもしれません。
「やりたいことを仕事にして生きていく喜びの本質はこういう所にあるのではないか??」というようなことを感じています。
好きなことと仕事は別にしたいから、やりたいことは仕事にするものではないという人もいますが、やりたいことを仕事にしてみたからこそ得られる気付きや感動も多いのではないかと思います。
そこには、フローも絶望も迷いもあると思いますので、好きなことに本気で向き合えば向き合うほどに耐力を求められるとは思いますが、快不快の上下変動を激しく伴う経験の蓄積が、感性に幅や充実感のようなものを持たせてくれる可能性も高そうだと考えています。
とはいえ、個人的には、よっぽどのことがなければ自分で事業なんてやるものではないとも思っていますので、好きなこと、本気で向き合えることを仕事にすることが誰にとっても絶対的に良いと思っている訳ではありません。
活動的な人や意識的な人だけが凄い人という訳でもありませんし、何も生み出さない、とか、仕事よりも流れる時間をどこまでもゆっくりと感じていたい、というような理想も包摂されるような多様性を考えることは、とても大切なように思いますので。
※空芯菜がシャキシャキで美味しいです。
旬菜が美味しいという日常に、どこかホッとするような感覚を覚えます。
日常の小さな出来事に心が動くと、いつも嬉しい気持ちになります。
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