ジョンケージの4分33秒のような、何にも左右されないであろう無敵のコンテンツ的精神状態になりたいという欲求。

最近、時間に関する本を読み漁っています。
(写真はその中の一作、稲田豊史さんの「映画を早送りで観る人たち」です)
僕は、気づけば余暇すら効率化しようとしている所があったり、基本的に映像&音声コンテンツは、倍速視聴、倍速聴きだったりすることから、今回読み漁った本から飛び出してきたメッセージという矢がグサグサと刺さりまくっています(笑)
僕は昔、自分の忙しないサラリーマン人生に対し「そんなに急いで俺どこへいくのよ??」という問いをいつも立てていて、そういうスピード感に抗うように今の農業や人生を選んだにもかかわらず、結局、「もしかしたら当時よりも急ぎ足になっているかも?」というようなことを最近よく思います。
ただ、10~15年前と比較して、今は隙間時間の使い方を圧倒的に有意義なものにできるようなデバイスやサービスが増えていますから、そもそもの時間感覚も変わっているのでしょうが。
人との関わりもありがたいことに相変わらず増える一方ですが、自分の心が丁寧に応対できる飽和ラインを超えてしまいそうな空気をここ数年で強く感じていて、「それをどううまく乗りこなそうか??」みたいなことを考えてしまっている自分を認知しています。
人との密な関わりと、なんてことない日常会話みたいなものを近距離で共有したかったから今の道を選んでいるはずなのに、そういうやりとりすら「うまくこなそうとしなければならない」という感じになってしまっている最近の自分に軽い違和感を覚えてしまったりして。
写真で紹介している本「映画を早送りで観る人たち」の中で、「どうでもいい日常会話とかは飛ばす」というなかなか強烈なワードがありましたが、なんだか貧しいな~と思う一方で、自分もそういう風にコンテンツを消費したり、人とのやり取りをこなそうとしているところもあるかもね?とも思ってしまいました。
ジョンケージの4分33秒のように、倍速にしようがしまいが、変化に気づくこともできないようなものは、この文脈で語るのであれば、もはや無敵のコンテンツなのかもしれない。
他者の主観や外的事象に左右されづらいものにこそ、本質的な価値が宿るのであろうという意味で、そのような境地に自分を持っていけたら嬉しく思う。
あっ、ちなみにこれは、暗い話でも悩んでいる話でもなく、「それってどうなのよ俺??」という、極めて前向きな問いが生まれているというお話しですので、ご心配無用です(笑)
不器用ながらも、大体いつも楽しくはやっていますので。