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ステレオタイプ化された「昔みたいに戻った方が良いに決まっている」みたいな考えが苦手


前回のお話の続きを書きます。


ステレオタイプ化された「昔みたいに戻った方が良いに決まっている」みたいな考えが苦手だというお話しです。


最初に前提条件をお話しておくと、過去と比較した時に生じる、現状への悲観や否定的感情がよくないと思っているわけではありません。


過去の方が良かったと思うのは自由ですし、自分にも他人にも仕組みにも、否定のない人間社会はそもそも不自然です。


ここで言いたいのは、「今がダメだから、本来の姿に戻るべきである」みたいなことを人に押し付けるような回帰思想が好きではないということです。


自分のキャンパスをどう塗ろうと構いませんが、人のキャンパスまで塗り潰すような行為は、どんなケースであれ、いかがなものかと思うからです。


現状に対しての「このような状態であるべきではない」という思いは、時に「本来こうあるべきだ」とか「もともとの形に戻るべきだ」みたいな欲求に発展することがあります。


その欲求の種類によっては、人や社会を巻き込みながら、時に凶暴な一面や強烈な矛盾を見せることがあります。


僕はそういうものが苦手ですし、とても差別的だなと思っています。


個人的には、「本物」とか「本来」のような概念は、人の争いの種みたいなものだと感じていますので、そのようなものは極力考えないにこしたことはないと思っています。


「こうあった方が良い」という主張をしてはいけないということを言いたいわけではありません。


人は皆違いますから、誰しも、本気でおかしいと思うことに対し「こうあった方が良いでしょう??」と、言わなければならないような時はあると思うからです。


「本物」とか「本来」なんてものは存在しないということを理解しながら、強く訴えていかなければならないことからは決して逃げずに主張する。


非常に難しそうですが、「このバランスをどう整えられるか??」に考えを巡らせることは、人と人とが些細なことで争わないためにも、とても大切なのではないかと思っています。


日本の神々と大陸から伝来した仏教を融合させた本地垂迹説のように、信仰の対象すらも同じものとして考えてしまえるような圧倒的柔軟性を見習いたい…。


などと考えてみたものの、これも後に、神が先か仏が先かでもめちゃいますから、良い参考事例でもないか(笑)


他に何か良い事例がないかと考えてみましたが、考えれば考えるほど、全てがプロセス的にしか見えなくなってきました(笑)


朝から脳が煙ふきそうなので、今日はもう考えるのを終わりにします(笑)


※今年、白菜は早いですが、キャベブロは遅いです。 なぜなら一発目の型は虫に食べられまくったからです。

神奈川はハスモンヨトウ注意報がでていましたので、近くで同様に苦戦している人も多そう。(今年は確かにめちゃくちゃ多い。)

色々とうまくいかないこともありますが、全体で見れば、概ね順調ですので悲観はしていません。

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■人の力と少しの道具で成り立つ、シンプル&ミニマムな農業をモットーに、農園を営んでおります。

当Blogの主な内容は、「久保寺農園の少量多品目野菜栽培記」や「生業としての不耕起、浅耕起型農業の実践記 & その栽培方法と考え方」になります。
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