ネガティブなことをポジティブに解釈することこそが悩みや苦しみを遠ざけられる有効な手段である、ということが目的化してしまっていないか??
私はお金を稼ぎたいと思って農業という道を選んだ訳ではないのですが、現代を生業としての農業でウェーブしていく以上、そうも言っていられないことがあります。
生活する為というのはもちろんのこと、自分が面白いと思う農業をやり続ける上でも、農業でお金を生み出し続ける必要があると思うからです。
その「なるべく効率よく、お金や利益を生み出し続けなければならない」、という強迫観念のようなものが、年々大きくなっている実感があります。
極めて効率のよくない手法をとっているうちの農業にとってはあまり受け入れたくない類のものです(笑)
前提条件として、届けたい場所が拡大し続けているからこその話なので、ありがたいことではあるのですが、好きで選んでいる仕事に強迫されているみたいでこのプレッシャーが時々嫌になることがあります。
しかしその一方、誰かに価値を感じてもらえるようなモノづくりをしていく上で、先に述べたようなプレッシャーが糧となっているという実感もあります。
強迫観念的だと感じていたことだったとしても、視点を変えるとポジティブな材料が沢山見つかるので、解釈というのは本当に可能性に満ちているなと思います。
と、子どものような自由な精神で、ネガティブな状況をポジティブに解釈しているような表現をしていますが、実態は、ずっと心のどこかで「本当にそのまとめでいいの??」という問いが発せられています。
そのモヤモヤすらもポジティブに解釈することで、心を落ち着かせている自分がいるような気がしています。
ネガティブなことをポジティブに解釈することこそが悩みや苦しみを遠ざけられる有効な手段である、ということが目的化してしまっていないか??
今朝は、大好きな人類学者、小川さやかさんの著書を読みながらそんなことを考えています。
「ああいうふうになってはならない、ああいうふうにならない自分の生き方は正しかったというカタルシスを得られるから。」
その日暮らしの人類学〜もうひとつの資本主義経済より
※今年、前半のブロッコリーは大不作です。後半に期待です。