リジェネラティブオーガニックという曖昧なパワーワード。
昨日、リジェネラティブ・オーガニックカンファレンスにオンライン参加しての感想を簡単に。
大前提として興味深い話しが多くて面白かったです。
しかし、色々と思う所もありましたので、今日はその辺りの私的感情を書こうと思います。
まず、生物学や植物学から見たらロマンや魅力しか感じない面白みのあるトピックが、有機農業やフードシステムという角度からみた場合、その魅力が一気に半減してしまうなと思いました。
「生産的な農業を有機不耕起に変革」というビジョンは、僕が魅力的に感じている畑の生物とのやりとりとは全く別ものなのだろうということを改めて感じました。
また、現時点でのその非現実性を考えると、リジェネラティブという環境パワーワードに引っ張られて「そういった農業が絶対的に善なる農業である」というような妙な勘違いが生まれないとよいなと思いました。
啓蒙というワードが結構聞こえてきたような気がしましたからね。
また、扱う題材的に仕方がないのかもしれませんが、かなり限られた一部の層の理想論のようなものというか、具体性に欠けるかなりふわふわとした話も多かったことから、大多数を支える社会システムの変革やイノベーションなんて言葉を大きく掲げるような段階でもないだろうと思いました。
革新的なアイデアを考えること自体は意味のあることだと思います。しかし、それは言わなくても多くの人が普段からやっていることなので、まだ不確実性の高い方法論を持ち上げて、あまりイノベーションイノベーションと考えすぎない方がよいように感じました。
オーガニックもそうですが、リジェネラティブなんて言葉も非常に分かりにくく、定義の曖昧な概念でしょうから余計にそう思います。
もちろん、その未知なる可能性を追求することは素晴らしいことだと思いますし、個人的にもそのような未来を目指したリアルな実践を心から応援したいと思っています。
また、自然生態系とつながりあった再生産過程を人間が考えていくことや、自然資本の再生産と人間の文明活動が積極的に関わりあっていけるような未来を想像できるようなきっかけが提示されることにネガティブな要素はないであろうと考えますので、そういった意味では素晴らしい催しだったと思います。
現段階では、耕さない農業を良いと思えたり、楽しいと思えたり、可能性を感じていたりする人たちがただ淡々と実践し続けていって、その結果から色々と想像を膨らませていきながら、クールかつ地道に分析を繰り返していくだけでいいのだろうと考えますので、皆で不耕起有機栽培に取り組むことを善とすることでもないだろうし、現段階で、その方法で農業や社会を変革することを目的にし過ぎるものでもないと思っています。
文明社会と生命システムとの相互連関の中で生きる人間が、大小問わない生命の営みに真摯に向き合い、生命や生態系に対しての謙虚さをもち、それぞれがそれぞれ大切にしている環境内を伸び伸びと健やかに生きられるように自然との関係性を育んでいくためには、「自然や生命を観察することに興味がわいていて、そういう姿勢を維持し続けたい」と思えるような環境がそれぞれの生活の中に存在していることがとても大切なのであろうと僕は考えます。
でも、それはそんなに簡単なことではありませんし、人に押し付けるものでもありません。
しかし、僕はそういう中で獲得できる健やかさを自分なりに考え続けたいと思っていますし、そういうことを深く考えられる場所に身をおいていたいと思っているから今の仕事を選んでいます。
ですので、「自然や畑との身体的かつ感覚的なふれあいが気持ち良くてたまらない」という感情が僕の畑仕事の一番の原動力になります。
僕にとっての畑とはそういうものでしかないので、有機農業やフードシステム的にみた耕さない農業の話しは、魅力を覚える対象がかけ離れていて、個人的には少し退屈な話に感じました。
というか、そもそも環境再生って一体何なんだろう??
環境という言葉から考え直してみたいと思います。
写真はスナップエンドウです。絹さやに続いてもう間も無く収穫期です。今日も畑が綺麗です。