価格高騰対策の農業助成金、「そんなんいるか??」を考える。

先日、いつもお世話になっている農政課の方から電話がかかってきて、世の中の価格高騰に対する農家負担軽減策としての助成金のお知らせをいただきました。
上限額を5万円とした、肥料や農薬、飼料費、エネルギーなどに対して行われる助成金のようです。
助かる人もいるでしょうし、嬉しいと思う人もいることでしょう。
僕自身も、わざわざご連絡をくださったご担当の方のご好意に対し感謝の気持ちでいっぱいです。
ただ、その一方で、このレベルの助成をする意味についても考えさせられています。
率直に正直な気持ちを述べるのであれば、「こんな軽微な助成で本気で助かる人なんて極小だろうと思うし、対象農家も約900経営体(のち主業農家は約1割)くらいでしょうから、行政コストをわざわさ払ってまでやる必要が本当にあるのかな?」と思っています。
また、このような助成にお金や時間を使うくらいであれば、自国の資源を活用した農業技術や研究、その促進活動などに使った方が、長い目で見て利点が多いような気がしますが、それは気のせいでしょうか。
僕は、今回の価格高騰圧により、化石燃料、エネルギーをなるべく使わずに成り立つ農業の方法を模索する力が上がっていく可能性もあると思っていますし、価格転嫁やその他の工夫で事業者がそれぞれの力でこの荒波を乗り越えていくことにより、農業経営体の底力の上昇&進化圧による新技術の発展を促すことができる可能性もあると思っています。
その流れの中で、生産性や環境貢献性の向上につながるアイデアや実践が次々と出てくることもあるのではなかろうか?? と思っていますので、僕は今回のような支援の方向性に対し、少し懐疑的な思いを持っています。
「ざんねんな生き物事典」でお馴染みの今泉先生が、「進化というのは自然淘汰と自然選択によって成し遂げられるが、人間はそれを免れる術を覚えたので、もう進化することはないだろう」というようなことをおっしゃっていましたが、今回の助成のことに限らず、「進化圧や選択圧をすぐに調整しようと試み、圧力からうまく逃れようとすることや、自然淘汰を無理やりにでも抑えられるようになったことは、長い目でみて人類や環境にとって本当に良いことなのだろうか??」ということを考えさせられる機会はとても多いです。
便利で豊かな現代人間社会に幸せを感じ、それを堪能させてもらっている一方で、上記のような複雑な気持ちになることも多いです。
と、つらつらと持論を書いてきましたが、僕は別に支援そのものがいけないという立場をとっている訳ではありませんし、抜き差しならない場所には支援が必要な時ももちろんあると思います。
ただ、なんでもかんでも支援をすればいいというわけではないと思いますし、中途半端な支援やルールが、かえって生産性の向上や新しいアイデアの阻害要因になってしまう可能性があるということを、様々な視点で考えたいという思いを持っているということです。
ちなみに、僕は全然経費のかからない超小規模農業で生きているので、今回の助成を本気でもらおうと思っても1、2万円くらい(笑)
ということで、申請する方が面倒なのでもらいません(笑)