批判、協力、資本、才能





先週の電気需給ひっ迫警報がとても印象的でしたので、今日の記事は、そのことについての感想を書こうと思います。

まずは電力ひっ迫の理由とポイントを簡単に。

(こんなことは僕が書くことでもないと思いますが、自分の整理の意味も兼ねて)

今回の電力ひっ迫の主な理由は


「同月16日の福島県沖で起きた地震による影響で、一部の火力発電所が停止」


「悪天候で太陽光の発電量低下」


「寒さで電気使用量が増加」



の3つと言われています。

今回発動された電力ひっ迫警報は、東日本大震災の電力危機を受けて作られた仕組みで、「計画停電の前に、供給余力が3%を下回る見通しになった場合に発動される警報」というものになるようです。

ちなみに、停止した火力発電所の復旧には大分時間がかかるとされていて、現時点では、まだまだ安心できない状況が続く見通しのようです。



■言いたい放題の批判に軽く辟易




今回の問題に対しての他方からの意見を少しかき集めてみましたが、想像した通り、批判が多いですね。



ものによっては、


「原発を動かさないからこんなことになるんだ」


「原発か火力を選択しなければならない時がやってきた」


「再生可能エネルギーはやっぱり不安定だからダメだ」


「こんなんじゃEV普及なんて無理に決まっている」



などなど、バイナリー思考型かつ短絡的ともとれる意見も一部ありましたが、そういったものに対しての個人的な考えを述べるのであれば「普遍的なゴールなんてものは一切存在しない世の中で、皆共通の新たな問題が生まれたのだから、感情的な善悪の決めつけはせずに、もっと皆で協力できるようにならぬものか?」という感じです。



この事に限らず、事あるごとによく思いますが、「なぜ、他の誰かや誰かの作った仕組みに対して、ただ怒っているだけの人が多いのだろう?」と、人の意見を見聞きしていて感じることが多いです。

人の社会を一つの生態系として捉えるのであれば、全ての問題は自分の問題でもあるという認識が、人類にデフォルトで備わっているといいのにな、と僕は思っていますので、反射的に他者や仕組みのせいにしてマウント気味で批評しているだけの人を見ていると、正直、辟易します。



ただ、その挙動を自分なりに分析してみた所、その行為は、自己愛や優越感を手っ取り早く高められるし、責任も知恵もあまり要求されないような気もするので、心理的な文脈で考えると一定の必然性はあるのかもしれないなと思いました。


また、誰でも気軽に発信可能な時代であることも大きな因子の一つなのだろうと思います。

自分も含め、「人間はそもそも怠惰な生き物である」ということを大前提に考えると、そういった現象も人類社会の一つの必然かもしれないので、瞬発的な意見や批評そのものを悪いものとするつもりもありませんが、あまりにも極端かつ好き勝手な感情ベースの主張や批評を見てしまうと、性分的に「もっと他者に対して思いを巡らせられたらいいのにな…」などということを考えてしまいます。


こういう感情自体も僕のエゴとも言えるかもしれないし、誰しもが誰しもに対して思いを巡らせたからといって、必ずしも人類にとって良い展開が生まれるとも限らないのでしょうけれど…。




また、市民的抵抗運動の歴史学者エリカ・チェノウスの「3.5%ルール」が示すように、良い悪いは別として、人々の主張や行動の一つ一つが社会を大きく変化させる動力になる可能性もあるでしょうし、人の意見を聞きすぎてうまくいかなくなってしまう政治や組織もそれなりにあると思いますから、そういう視点で見ようとすればするほど、余計になんとも言えない気持ちになったりもします。


とはいえ、それが他者を否定したり潰そうとしたりすることを前提した正義感なのであれば、それがどんなケースであろうと僕はどうしても好きになれないです。

ようやく、そんな非合理なことをしなくても多くの人が幸せを創造しやすい時代になってきているはずなのに…などと思ってしまいます。




まとめると、人それぞれ色々な考え方があるのは分かりますが、「人はもっと上手く支えあうことができないのかな??もし出来るのであればそうできるといいな」という、半ば理想論に近いような思いを強く持っているということですね。




※3.5%ルール

「人口の3.5%を動員して成功しなかった運動はなく、3.5%の人を動かせば社会は変わる」という法則

■才能の活かしあいが大切


いつだってそうではありますが、今回のことでも、またエネルギーの問題の難しさを感じさせられました。

僕の現在のエネルギーに関しての思いは、節約主義に偏りすぎず、技術革新と節約がハイブリットされたようなものが理想だと思っている派です。


有機農業の回で書いたことと同じで「どちらかが良い悪いではなく、互いに良い所が沢山あるので、上手く利用しあえたら良いよね」と考えているということです。




また、先に述べたように、「絶対的なゴールが存在しない中でのより良い人類社会のベターとは??」を問うていきたいと考えている所がありますので、「人がどれだけ上手に協力しあえるか??」というようなことを価値指標におけるような社会構造が理想だなと思っています。



つまり、エネルギーでもそれ以外でも「皆の才能を活かしあって一つ一つ問題を皆で乗り越えていこうや」 みたいな感じが良いなと思っているということです。

僕は、相手の存在を否定しないと貫けない正義をお互いが振りかざし始めても良いことがないことは、多くの人が理解している筈なのではないかと思っています。


そのようなことからも、今までの仕組みや現存主義を否定するだけではなく、それらの仕組みや意識的スタンダードの既存土台を上手く利用する術も考え、人と人が歩み寄ることを前提条件とした改変や課題解決が行われていくような社会が創造できると良いなと思っています。





■才能主義



ご存知の方も多いと思いますが、クラウス・シュワブ教授(世界経済フォーラム創設者(通称ダボス会議))の主張に「これからは才能主義(Talentism)の時代」 というものがあります。





「資本主義という表現はもはや適切ではない。金融緩和でマネーがあふれ、資本の意味は薄れた。いまや成功を導くのはイノベーションを起こす起業家精神や才能で、むしろ『才能主義(Talentism)』と呼びたい」


出所: 日本経済新聞202063日「資本主義の「リセット」議論を WEFシュワブ氏 21年のダボス会議テーマに」



僕は、先に述べてきたように、人が才能を活かしあえるような社会ができたら良いなと思っていますので、


「資本や経済合理性ではなく、人の才能や個性に注目し、そこに価値指標を置き、すでに適切ではない仕組みは一度リセットして、現代バージョンに改変していく」というようなシュワブ氏の考え方に共感を覚えています。(これは僕の個人的な解釈です)



ここまで述べてきた私的モヤモヤに対してもそうですが、どんな分野のことにもこの意識を持つことはとても大切なように思っています。



もしかしたら誤解されてしまうかもしれないので、一言付け加えておくと、僕は資本主義を嫌いな訳ではありませんし、むしろ良い側面の方がはるかに多いと思っています。


ただ、細かい部分で大きくアップデートが必要なエリアが所々あるだけなのだろうと考えています。




​Post List