有機、オーガニックって何?? ①



今日は「有機、オーガニックって何??」というお話です。

「今更どうしたの??」と思った方もいらっしゃるかもしれませんが、最近、「オーガニックや有機に興味があるのだけれど、それってそもそもなんなの??」というようなニュアンスの問いを連続してうけたことから、改めてじっくり考えたいと思いました。

「この複雑かつ曖昧で、ふわふわっとした概念の中で、最も重要なポイントやイメージって一体なんなんだろうか??」ということを自分なりにもう少し整理したいという欲求が働いたということですね。

個人的には、有機やオーガニックという概念が、そもそも分かりやすく解釈できるようなものとして体系化されているものでもないと思っているので、僕自身もその本質を理解できているかといえば、正直よく分かっていないことの方が圧倒的に多かったりします。


最近では、それが時代にとって良いものとして、物凄く分かりやすい表現でその価値を紹介しているコンテンツがあったりしますが、極端な表現例をあげると「天然だから良い」みたいな、スーパーざっくりしている情報も多くて、それに比べると、歴史的背景のような、「分かりにくく、とっつきづらいんだけど、イメージ掴むのにそれ結構大事かも」というよな情報はかなり拾いづらいような気がしています。


(僕が上手く探せていないだけなのかもしれませんが、そのように感じています。)


「そんなものは生産力を無視したナンセンスな行為」といったような、「当時は科学的偏見も多かったのであろう…」ということがうかがえるような発祥初期の記録もあることを考えると、利点にフォーカスする人がグンと増えていること自体はとても素晴らしいことだと思いますし、「僕が現在、有機農業を楽しめているのも、先人たちの地道な活動の成果のお陰様なんだろうな~」と感じさせられるような変遷には感謝しかありませんが、それが一般認知として、受け入れられやすくなるならどのような表現をしてもよいのかというと、そういうものでもないのでは?? と思うことも多かったりします。


もちろん、そういった解釈も興味深いことではありますが、よく分からないものだというイメージも一緒に掴みやすくなっているとより良いなと思います。


なんでもかんでも手っ取り早くすぐに答えを求めたがってしまいがちな現代だからなのか、余計にそう思います。




そのようなことから、自己認識の整理の意味も兼ねて、「なるべくフラットな視点で見ることを心がけた、良し悪しで計りすぎない有機やオーガニック」を改めてコネコネと考えていきたいと思っています。

正直、上手くまとめられる気はしませんが(笑)思考を外に吐き出しながら考えを進めていくのは、自分が今いる場所の確認、理解を格段に進めてくれますので、まとまらなかったとしても、まずは自分の中のイメージを吐き出しまくってみようと思っています。



とっちらかりそうですし、長くなりそうなので、何回かに分けて書いていこうと思いますが、お付き合いただけたら幸いです。

■有機、Organicという言葉の発祥





まずは、有機、Organicという言葉の発祥を確認していきたいと思います。


有機「Organic」という言葉は、1940年、バイオダイナミック農業を実践した、ウォルター・ノースボーン(リンク)の著書に初めて登場したと言われていて、「複雑だが、各部分が、生物のものと同様に、必要な相互関係を有する」という意味の造語だったようです。

難しく表現されていますが、要するに、自然(自ずと必要なように事態が進行していく)のことを表しているのだろうと僕は解釈しています。

で、日本語の有機という言葉は、1971年、日本有機農業研究会を設立した 一楽照雄さんが用いたのが初めとされています。

漢詩の一節である「天地有正気(天地に正気有り)」という言葉をヒントに、「天地有機(天地に機あり=自然界には“機”(システム)、つまり、“仕組みや法則”があるという意味)」という言葉が生まれ、自然の仕組みに逆らわない農業こそが本物の農業であるという考え方から、有機農業という言葉が生まれ、発展していった概念になります。


初まりは、自然の仕組みの重要性を説いたものであるということがよく分かりますね。

言葉というものは面白いもので、造語から始まったOrganicという言葉が今では当たり前の概念として存在していて、現代は、その価値についてあちこちで議論、反芻されていたりします。


革新的で時代のニーズにマッチした造語や概念が生まれることによって、今までとは全く違った解釈が色々な所で発生し、時代の変革の因子となっていったりするということは、歴史上、この分野のことに限らず、色々なところで起こっているような気がします。

最近でいうとプロセスエコノミーとかもそうでしょうし、少し前だと、ロボットなんかもそうなのかもしれませんね。

「概念のイメージ化やワーディングと技術のかけ算によって、時に大きな社会変革のうねりが発生することがある」というようなことについて考えさせられています。

今回はこの辺までで、次回は、


「有機という言葉が使われ出してから現代までの歴史の中で、定義や人々のイメージや解釈がどのように変遷していったのか」


を考えていきたいと思います。


ロボの小話





※ロボットは、チェコ語の強制労働(robota)が語源の造語だと言われています。


1920年代、飲み物を売る自動販売機がロボットという認識で人間にイメージされていたというようなことが書いてある記述を見たことがあって、その中に、「人間が飲み物を売る必要がなくなってきてしまうと、次第に人間は自動販売機をロボットとして認識しなくなっていった」というようなことが書いてありました。


それは、ロボットの定義がそもそも「人間の仕事を代替するもの」として存在していたので、時の経過の中で、人の仕事を代替するものとして認識されなくなってしまうと、そもそものイメージそのものを大きく変化させてしまうような力学が働き、結果的に「ただ環境が変わっただけ」というような捉えられ方となっていく、というような見方がされていました。

それを受け「定義やイメージを大衆がどう理解し、情報処理していくか」ということは、社会の常識が構成されるプロセスの中で物凄く重要な役割を果たすのだろう、と思った記憶があります。



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