有機、オーガニックって何??③

「有機、オーガニックって何??」の続編、第3章は資源についてです。
第2章では、有機やオーガニックが人々や社会に認知されていくまでの簡単な流れと、現代社会用に定められた国際的な有機農業の定義がどのようなものかを確認しました。
その中で、現代は「天然資源を枯渇させず、持続可能な農業の実践を目指していこう」というような流れになってきている。ということを書きました。
「どのように天然資源を扱うことが環境にとって良いのか??」ということに関しては、とても複雑なことですので、今でも様々な議論が各所で活発に行われていますが、今日は、その辺りのベターを考えていくというお話ではなく、「今までの農業の歴史の中で、どんな天然資源に注目が集まり、それに伴い、農業や社会がどのように変化していったか?」の変遷をたどっていきたいと思っています。
なぜそのようなことを書くのかというと、個人的には、今の有機やオーガニックの意義を考える前に、過去の人類の天然資源との向き合い方や化学肥料製造に至った社会背景などをざっくりとでも知っておくことは、現代における有機という概念をフラットに解釈する上でも、とても重要なことだと思っているからです。
内容は、記事トップの図に示した流れの通り、「19世紀前半~窒素肥料誕生」までのことをザクっと書いていこうと思っています。
まず最初に「植物が吸収するのは、有機物か、無機物か??」という議論が巻き起こっていた頃のことから書いていこうと思います。 それでは、今日も少し長文になりますが、少しでも多くの方にお付き合いいただければ幸いです。
本日もどうぞよろしくお願いいたします。
■植物の栄養素解明がもたらした、人工肥料。
19世紀前半、植物の栄養素を解明した人類は、「人工的に肥料を作れないものか??」と考え始めるようになります。
この当時は、産業革命後に増え続ける人口を支えるために食料の生産力を高める必要性がありました。
また、当時の食料生産における大切な養分源である堆肥は、その製造自体に物凄く労力がかかってしまうということもあり、堆肥に代わる肥料資源が欲しいという社会的ニーズもあったようです。
(当時の超集約型農業の代表的な存在でもある、ノーフォーク農法でさえ、堆肥を確保するために、耕地の半分は家畜の飼料生産に使わなければならなかったらしい、という記録もあります。)
※ノーフォーク農法(穀物生産と家畜生産を組み合わせた革新的な農法)
作物を育てながら、家畜用の飼料を育て、家畜の糞尿を堆肥化して回収し、その回収した養分を人間の食料生産用の養分として使用する、18世紀に普及した四輪作法による農業。
そうした社会背景が、人類を鉱物資源の発見へと導いたのであろうとも言われていますが、いざ鉱物資源を発見し、その効果の高さと効率の良さに感激した人類は、それらの資源に一気に夢中になっていきます。
※鉱物資源
(図中に示した、チリ硝石、グアノ、リン鉱石、カリ鉱石)
チリ硝石は火薬の原料としても使われ、その急速な需要の高まりにより、資源争奪戦争が勃発したり、そのあまりの消耗ペースに、あっという間に資源枯渇の心配を招くことになりました。
(この社会課題を解決するために空気中からの窒素合成が模索されるようになっていいった結果、窒素肥料(ハーバー・ボッシュ法)の発明、工業生産に繋がっていったと言われています。)
抜き差しならない人類の社会課題を解決するために…と人々が動いていった結果、必然的に化学化、工業化に繋がっていったという背景がうかがえます。
「必要は発明の母」というのは、どの時代も変わりはないのでしょう。
ここで何がお伝えしたいかというと、「有機、オーガニックを普及させ、持続可能性を目指していく」という視点だけで考えると、化学化自体がいけなかったことのように捉えられてしまいがちですが、「必ずしもそうではない」という視点で見ようとすることも大切だということです。
現代のSDGsのようなものと一緒で、その当時の人々にとっては、社会や人類の大きな課題に向かうためのベターが、たまたま化学化や食料大量生産につながるようなアクションだっただけですので、その結果の評価だけでなく、当時の背景にも思いを巡らせることはとても大切なことだろう…と考えているということですね。
今でこそ、先日紹介したPEONのようなことも分かってきていたり、社会的なニーズから、有機農業の意義や有用性を考えられる時代になってきてはいますが、当時は農業の全てが有機農業であり、その有機農業に対してのネガティブ感情も多く、当時の人々にとっては、有機農法から解放されたことは超革命的な出来事でした。
その社会の変革に救われた人々が沢山いたという事実があり、その歴史があってこその今の社会の仕組みや利便性があることは間違いないことなのだろうと思います。
ただ、もちろんその変化を嫌った人々や、抗った人たちも沢山いて、そこには悲哀に満ちたストーリや出来事も数多くあったであろうと思います。
また、それらの大きな変革が今の社会の課題を生み出す大きな因子になっていったという事実もしっかりと考えていかねばならないことだろうと思いますので、この複雑な絡み合いの結果を、善悪感情だけで結論付けられる程、単純なことではないのだろうと思っています。
■有限な資源の課題と、化学化によって救われたものと生み出された概念。
ちなみにチリ硝石以外の他の天然資源のことも簡単に紹介しておくと、グアノは1851年~1923年までの72年間に1000万トン以上のグアノがペルーの島々から採掘され、あまりの乱採掘に、そのブームは40年くらいで終息したと言われています。
人間の欲求は本当凄まじいですね…
アメリカのグアノが堆積している島を領有することができるという、グアノ島法(Guano Islands Act)ができたのもこの頃です。
1856年8月18日に連邦議会で可決されたアメリカ合衆国の連邦法。アメリカ合衆国市民はグアノが堆積している島を領有することができるというもの。占領されておらず、且つ他国政府の管理下におかれていなければ島がどこにあってもよい。この権益の保護のためにアメリカ合衆国大統領に軍隊を指揮する権限を与える。 この法律は現在でも有効である。(wikipediaより)
リン肥料は、主に動物の骨を原料にしていたので、(過リン酸石灰は、骨粉の硫酸処理で製造)地域によっては骨が大きく不足していたという社会課題があり、その課題をリン鉱石が解決へ。
リン鉱石の登場により、その主役が鉱石に移り変わっていったと言われています。
カリ肥料は、主に森林を燃やした後の灰が原料だったので、カリ鉱石の発見により森林破壊が食い止められたという見方もされています。
19世紀半ばにカリ鉱石が発見されていなかったら、ヨーロッパの森林は壊滅状態に陥っていたかもしれないとも言われています。
(ちなみに、リン鉱石、カリ鉱石は、今もなお、肥料の原料として使われています。
もちろん有限な資源ですので、石油などと同じように枯渇が心配されていたりもしますが、我が国日本は、化学肥料原料の大半を輸入に頼っているという立場から、穀物高騰→肥料需要増加→肥料原料高騰 という未来予測に対し、今後どのように立ち向かっていくのかが問われています。)
ここまでで確認してきた通り、時代が大きく化学化に動いていった結果、徐々に表面化し始めた環境問題や健康被害問題の影響もあり、有機農業の再評価の流れが出てき始めます。
(この辺りは、今にも通ずるものがあると思いますので、背景も想像しやすいのではないかと思います。)
20世紀前半〜中盤辺りにかけて、シュタイナーのバイオダイナミック農業や、ハワードの農業聖典、カーソンの沈黙の春などが出てきて、化学化への抵抗、肥料や農薬を使わない農業への関心がどんどん高まっていきます。
今でいう有機という概念が相対的に出てき始めたという訳ですね。
(この流れが、