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有機、オーガニックって何??④





本記事は、 有機、オーガニックって何だろう?? シリーズのまとめです。(最終章)

まず、ここまで(過去3記事)で取り上げてきた内容と、もともと何を書きたくて、このシリーズを書き出したのかということを整理します。

※ここまで取り上げてきた内容。

有機、オーガニックという言葉の発祥


有機農業の定義と原則、人々のニーズの変化


有機農業から解放されて、化学化に向かった背景

※何故書こうと思ったのか (目的)

「何となく良いもの」としてふわふわと捉えられている有機やオーガニックについて、その概念の本質をできる限りシンプルに整理したい。


・有機農業の歴史から、人々の「有機」という概念に対する解釈や期待値などの変遷を追った上で、最も重要なポイントやイメージって一体なんなんだろうか?? を考えたい。

というような感じでしょうか。

結論とまでは言いませんが、今まで書いてきたことを整理しながら、自分なりに考えた 、有機、オーガニックを考える上で大切だと感じるポイント は

・有機やオーガニックは化学化により相対的に出てきた概念。


・有機やオーガニックはたまたま今の社会のベターであるだけで、これからの社会で必ずしも良いものになるとは限らない。


・良いもの悪いものなど、極端な解釈はするべきではない。


・有機も非有機もどちらにも良い部分があり、それぞれの利点を受容しようと努め、認め合うことが大切。


になります。


今までも述べてきたように、有機、オーガニックという概念は、これから先も、「どういう形が良いのか??」ということを社会全体で考えながら、その時代時代のニーズに合わせて変化していくものだろうと思います。

自然科学は、人の感情ベースでの未来の善悪判断に対しては本質的に無力だと思いますので、「有機」という言葉が、どこか曖昧なものとして存在していくことはこれからも変わらないと思いますが、ここまでの章でも述べてきた通り、大切なことは、その曖昧なものに対し、人や社会が謙虚に考える姿勢を持ち続けることなのだろうと思います。


この辺りのことは、第3章でも書いた通りです。(以下、一文を抜粋)




善悪なんてどこで誰が見るかによっても変わってしまうような複雑で曖昧なことだからこそ、簡単に物事を白黒で決めつけようとせず、謙虚に知恵や情報と向き合うことが大切なのだろうと僕は考えます。


また、何の分野でもそうですが、フラットなイメージをそれぞれが持ち、意見の尊重を大前提とした、差別や偏見のない議論が行われることに越したことはないと思っていますので、この分野でも、有機、非有機、などで括らずに、それぞれがそれぞれを認め合いながら、現代なりのベターを共に探っていくことができたら良いなと思っています。



■「自然、化学」、「有機、慣行」二者択一で考えない。

化学的なアプローチによる農業で、環境に大きな負荷がかかる可能性がある という感情を人々が覚えてしまうことはとてもよく理解できますし、一定の共感を覚えますが、それが全て、 化学肥料と農薬が諸悪の根源だ というような極端な考え方になってしまうことには違和感を感じています。

これに関しても、先に述べた思いの部分から、僕がなぜそのように思うのかをご想像いただけるかと思います。


確かに、今の時代にマッチしないものなのかもしれませんし、できる限りなくせるのであればその方がよいのかもしれませんが、現代でも、その効能や価値はとても高いものであると個人的には認識していますし、より環境負荷がかからないようにするための技術革新がもたらしてくれるであろう変化(化学技術による農業イノベーション)にも僕は期待を持っています。

また、忘れてはならないのは、有機、化学の関係なしに、あらゆる物質は量によっては毒にもなるし、薬にもなるということです。

毒物学には昔から「少量の毒物は刺激的である」という法則があるとされていたり、「多すぎたら有害だが、少なければ有益に働く作用をもたらす」という現象を示す ホルミシス という考え方があったりしますが、そういったことは、人体の生理的な反応に限らず、自然環境や人間以外の生物に対しても同じことが言えるのだろうと僕は考えています。

また、微生物が作り出す生物農薬、銅や硫黄などの自然物由来で作られた農薬などがもたらすであろう環境リスクを、一般的な化学農薬と同等のもの(もしくはそれ以上のもの)として扱うような考え方があったり、堆肥も必要以上に投下しすぎると化学肥料以上に環境汚染につながるという事実もありますので、化学物質を使わなければ良いという単純な話で片付けられるものではないだろうと考えています。

どんな資源、資材でもそうですが、最も大切なのは、使い方が適切であるのか??ということなのだろうと思います。

もちろんそれは、どの視点やどの立場で見るかによっても評価が変わると思いますので、それに関しても単純な善悪感情で計ることはできないと思いますが、 適切に使えば、もしかしたら化学肥料の方が環境的には優しい側面もあるのかもしれない という視点でも考えた方がよいのではないかと思っています。

つまり、化学技術に対し「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」的な見方になりすぎてしまってはならないと思うということですね。

ここで、北海道大学農学博士の松中照夫先生の一文を引用します。


堆肥は養分移転材料としてだけではなく、土の物理的な性質の改良資材としても有効である。ただ、それが有効であるということと、実際にそれぞれの農地に堆肥を与えたことでよい効果が確実に発現して、作物の収量や品質に反映するというのは別ではないかと私は考えている。

有機物と無機物、堆肥と化学肥料、無農薬と農薬といった二者択一的で敵対的な議論をするのではない。
それよりも、それぞれのよさを認めあい、それぞれのよさを具体的に農地で発現させるには、それらの資材をどのように利用するのが最善であるか、そのような建設的な議論であるべきだと思う。 (著書「土は土である」より引用)




僕はこの考え方にめちゃめちゃ共感しています。


本当にそうだよな~と思いますし、僕はこの考え方には結構影響を受けていますので、今まで述べてきた僕の解釈にも、どこか似たような表現もあったのではないかと思います。


■「それでも、僕が有機を選ぶ理由」と「その理想」