温暖化リスク論と温暖化歓迎論

今年の春は本当に温かいので、野菜がぐんぐん成長します。
こんなに気持ち的に楽チンな早春は初めてかもしれません。
この気温上昇が、自然現象によるものなのか、人間活動によるものの影響なのかは僕には分かりませんが、統計開始から今までの平均気温の推移を見ていると、少しずつ確実に気温が上がってきていることだけは間違いなさそうです。
世の中には、地球温暖化リスク論がある一方で温暖化歓迎論のような考え方もありますが、僕は「どちらが正しいのか??」と問われたとしても、正直いまいちよく分かりません。
そもそもどっちが良いか悪いかで片付けられる程、単純な問題でもないと思っていますので、今の所どっち側にも寄る気はありませんが、今春の野菜栽培のしやすさのようなことを考えると、「ポイントや立場によっては、温暖であることの利点も結構多いんじゃないの??」という考えを持つ専門家の気持ちも分からないでもありません。
僕には地球や自然の本当に欲しているものが何なのかはよく分かりませんので、正直な所、温暖化でも寒冷化でも、自然システムがそういう調整機能を働かせる必要が生じてしまったのであれば、それがどちらに展開したって構わないくらいに思っています。
それは、人の社会が崩壊してもよい、とか、もうどうなったってよい、というような投げやりな気持ちという訳ではありません。
自分の子供の世代がこれから生きる社会が、より幸せな世の中であってほしいとも思いますしね。
僕は、自分を支えてくれている身近な自然や環境、小さな生物たちに感謝し、それらの存在たちをより深く尊ぶために力を尽くす人生でありたいと思っていて、その気持ちに沿って日々の生活ができているのであれば、何が起こっても納得がいくだろうと考えているのでそう思うということです。
未来の地球と人類への優しさって、考えれば考えるほど本当に複雑で難しいテーマですので、個人的には、未来の想像や議論をしすぎるよりも、それぞれがそれぞれのできる範囲で自分の身近にある自然を尊ぼうとすることの方が遥かに大切なのではないかと考えます。
もちろん、建設的な議論が積極的に行われることや未来を支えるテクノロジーの発展も同じように大切だと思いますが、人の社会には、''手つかずの無垢な自然'' のような、環境ロマン主義的な幻想の過剰な押しつけや、人類の身勝手なニーズや利権の競い合わせなど、「温暖化対策のようで実はただの支配欲のぶつかり合いになっていませんか??」と感じるようなものも多いので、そのような私情や感情ベースの争いはできる限りなくなるとよいなと思います。
とはいえ、人の社会は激しい感情のぶつかり合いで構成されているようなものでもあるとも言えるので、良くも悪くもそういうものがあってこそなのかもしれませんけどね…。
「本当に環境に優しいこととは??」と、いくら考えても僕にはよく分かりませんが、自分の大切にしている気持ちから自然発生する行動の数々が、結果的に地球や自然にとって少しでも優しいアクションになるのだとしたら、それはとても嬉しいことです。
畑では、春大根も採り出し始められるようになり、春の野菜が一層賑やかになってきました。
春の収穫が本格化し始めている畑景色の豊かさを感じていたりすると、目の前にある豊かな自然環境が自分にとって最も大切なものであるということがよく分かります。
今日も畑が最高に気持ち良いです。
■おわりに
「地球温暖化は自然現象による気候変動であり、人間によるものではない」ということは今の段階で言い切ることができないでしょうし、立証もできないでしょう。
しかし、その一方で「人間活動によるもの」ということを立証することもできないものだと思います。
スティーブ・ミロイが集めた、「大外れだった2020年の地球温暖化予測集」が示すように、今まで外れた温暖化予測も実は結構多いという事実もありますので、専門家でもまだまだよく分からないことの方が多いものなのだろうと思います。(下記リンク参照)
https://cigs.canon/article/20210121_5586.html (キャノングローバル戦略研究所)
リンク内では、過去の不吉な温暖化予測が外れていたという情報集と、その引用元データへのリンクが貼ってあります。
また、記事内で、「過去の不吉な予測が外れたからといって、未来の予測も外れるとは限らない。けれども、莫大な経済負担を伴う温暖化対策をするというなら、予測を鵜呑みにするのではなく、よくよくその信憑性を確認した方がよい。」
というような考えが書かれていますが、個人的にはその考えにとても共感しています。
未来は誰にも分からないので、必要な所に必要なリソースや資金を投入していくことはとても難しいことだとは思いますが、不確かなことだからこそ、人を混乱させるような表現や情報拡散は避けるべきでしょうし、根拠のない情報や予測を鵜呑みにしすぎないということは、とても大切なことのように思います。
ただ、慎重になったからといって、それが必ずしも良い結果や正解に結びつく訳ではないとも思うので、その辺りはとても難しいところですが、感情的になんでもかんでも鵜呑みにするよりはマシだと考えます。