肉体に資本を溜め込む型の農業も限界?
いつまでも続くうだるような暑さ、極端な少雨と豪雨、今年は畑仕事にとって厳しい気候の日が多いからか、今まで感じたことのないような疲れを感じています。
体もあちこち痛いですし。
「こんな気候が続くようであれば、今の仕事をこのままのペースでやり続けたくないかも??、というか今のままやり続けられる気がしないね〜」
最近は、夫婦間でこんなようなやり取りをしていることが多いです。
今まで、体の丈夫さや体力をあてにしきっていました。
年齢とともにそういう無理はきかなくなってくるでしょうから、これから先もまだ農業をして生きていくのであれば、今のやり方を大幅に見直さないといけません。
手持ちの機械はマックス3馬力くらいなんで(笑)、もう少し肉体よりも機械に頼る比率をあげていった方がよさそう。
しかし、今からガツンと機械化して肉体的な負荷を少なくするとしても、今のままだとスキルが低すぎて償却に苦しむことは目に見えているしな...。
いやいや、まだ農業をやり続けるんだったら、その投資は早い方がいいでしょう....。
いやいや、世の中が労働集約的な農業からの解放に向かっている中で、うちみたいな次の世代にはおそらく残っていないであろうタイプの農業がどこまで仕掛けるかの判断が難しいな....。
肉体に資本を溜め込む型のスタイルであえてこのまま突っ込んでもまぁ後10年くらいならなんとか....。
などなど、いつも通り思考がもじゃもじゃと絡まりまくっています(笑)
「なるべく物や機械を使わずに」、みたいな感じで農業を続けてきたことのツケが回ってきた感がすごいですが、これはこれで得られたものも多いので、特に悲観はしていません。
むしろ、また新しい壁にぶち当たったことを喜んでいます。
今すぐどうこうという話しではありませんが、これから先の農業との向き合い方や手法を色々と悩んでみたいと思います。
何年やっても新しい発見だらけで面白いなと思いますし、理想や興味も時の経過と共に次々と変化していきますから、これから先も楽しみで仕方がありません。
今夏、農生活にかなりぐったりさせられていることを受け、ハラリのサピエンス全史に書かれていた、皮肉たっぷりの一文を思い出しました。
「農耕が生まれてから、人類は小麦の家畜となり、関節炎やヘルニアを患うようになった」みたいな感じのやつです。
ここだけ切り取ってしまうと乱暴な単純化ともとれてしまいますし、陰鬱な歴史観ともとれてしまいますが、農耕のそもそもを考えるきっかけを与えてくれる大切な示唆のようにも思います。
※秋キュウリが採れ出しました。まだまだ暑いのでキュウリがうまいです。