農業という仕事はバランスのとれた贅沢な仕事である
農仲間やご近所農家と、今年の夏は本当に厳しかったという話によくなります。
その厳しさの理由は人によって様々です。
過酷な暑さや極端な大雨による甚大な被害を受けた。人参の発芽が大変であった。果菜が全然採れなかった。大きなものから小さなものまで色々です。
以前にも書きましたが、農業は気候や天候に左右されることの多い仕事です。
もちろん、技術やマンパワーでリスクを減らせるものもあると思います。
しかし、自然が強大な力で襲いかかってきた時には、人間の農業的な営みなんてものは基本的に無力なものです。
多くの人は「自然の大きな力には抗いようがない」という理解を前提にしていると思います。
僕自身ももちろんそうです。
しかしその一方で、人間はあの手この手で、自然試練を超克し続けていることも疑いようのない事実だと思います。
農業で言えば、労働生産性や面積辺りの生産量を確実に増やし続けてきています。
生産の絶対量に関しては今後減っていくのかもしれませんが、生産性に関しては、これからも上げていく可能性の方が高いと思います。
その辺りに関しては、僕はどちらかというと、希望に満ちた明るい未来を想像しています。
しかし、人間のあくなき探求心と社会性の高さには、注意深く見ていかなければならない部分も多いと感じています。
それは、良かれと思って進めたことが、皮肉にも更に大きな問題を社会に生み出してしまうことがあるからです。
昨今の環境問題なんていうものは、その最たるものでしょう。
「自然と文明の交わりを考える」みたいな話は、僕の所にもよく持ち込まれます。
人が「社会的には当然こうした方がいいよね」と思うことは、その多くが自然の不快感から離れていくための策です。
「自然現象だから仕方がない」ということを受け入れることは、あらゆる領域でとても大変なことでしょうから、それを克服しようと努めるのは当然のことだと思います。
しかしその一方で、なんでもかんでもコントロールしようとするのではなく、どうにもならない不快感をあえて受け入れようとしてみることも大切なことだと思っています。
もちろん、限度はありますが、許容できる幅が広いことに悪いことはなさそうだと思います。
急に雨が降ってきて服が濡れてしまった。
トンビにおにぎりをとられてしまった。
コケたらスマホが壊れてしまった。
なんだか今日は何をやってもうまくいかない。
大なり小なり、不快材料は僕らの日常に自然発生し続けます。これに終わりはありません。
僕は、それらを受け入れることで育まれる豊かな感性や人間的な成長も少なからずあるのではないかと考えている所があります。
(清貧的な我慢や自己抑制を賛美しているわけではありません)
そう考えると農業という仕事は、人間中心的に自然の不快感を遠ざけていく営みでありながらも、「自然のことだから仕方がない」と割り切らざるをえない領域も多い、とてもバランスのとれた贅沢な仕事だなと。
と、自分の職業アゲをして本文を終えたいと思います(笑)
※雨をもらってナスの花が一気に咲き始めました。
今年は少雨の影響もあってか、最近、開花量が少なくなってきていましたので、ほっと一安心です。
まだまだ健康状態良好なので、10月中もしっかり採らせてもらえそうです。
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