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野菜と草の共生デザイン




にんにく、今年も草むらの中で圧倒的な存在感を見せてくれています。


近所や仲間の農家と話をしていると、「草は野菜の栄養を奪ってしまう…」のような考えを耳にすることも多いですが、僕は必ずしもそうではないと思っています。


もちろん、草の勢力が強すぎてしまうと野菜の成長にとって不利な条件となってしまうことも多いですが、経験上、草が適度にあった方が野菜の調子が良さそうな場面も結構目にしますので、野菜にとっても草にとっても有益な共生デザインのバリエーションって、実際かなり豊富にあるのだろうと考えています。



つまり、畑仕事の中で邪魔もの扱いされがちな草も、野菜の味方にできることも多いということですね。



これはあらゆることに言えることだと思いますが、邪魔ものって、''自分の都合を荒らされた'' というような感情が生み出すモンスターみたいなものですから、上手くスルーするなり、受け入れるなり、味方にするなり、なるべく正面からぶつからないようにしたいものだな~と思います。



今回の草のケースで言えば、「草のせい」ではなく、「草のお陰」みたいに、味方にできるのが一番理想的な展開ですね。


それにしても、草と野菜が互いに健やかに過ごしている風景はいつ見ても絶品です。





僕にとって、野菜と草がうまく共生しているようなデザインの追求って、人と自然の関わり合いの永続可能性の追求みたいなものでもありますので、自然や小さな生物も含めた共同体としての自分の人生の最適解探しのような側面があります。



現代を生きる人々の価値基準で考えれば、僕の掲げるような理想像が多くの人類や大きな社会を救う術にはならないと思いますし、今の日本社会では、「どんな手を使ってでも食料を自分たちで大量に生産しなければならない」というような饑きん時でもありませんから、上記のような理想像って、ハングリーさに欠ける故の平和ボケ的感覚から生まれた考えのような所もあるとは思います。



しかし僕には、今の生活をしているからこその自然との理想的な関わり合い方があって、その中で見出せる、今の時代なりの幸せな生活像がありますので、他人から見た自分の理想や行動の評価には全く関心がなく、心理学で有名な アルフレッド・アドラーの言う、理想の共同体のようなものをひたすらに追い求めていたいと思っています。



(アドラーは自らの述べる共同体について、「家庭や学校、職場、地域社会だけでなく、たとえば国家や人類などを包括したすべてであり、時間軸においては過去から未来までも含まれるし、さらには動植物や無生物までも含まれる」 としています。

それは、自らも到達できない理想だと認めていたということですが、個人的には、そのような究極的な理想を追い求めることは、これからの人類の永続可能性のヒントを得るためにも必要なものだと考えます。)



もちろん、「理想と現実の乖離をちゃんと考えよう」とか、「理想は理想でしかない」というような気持ちも分かりますが、「現実とか普通って何だろ??」とか「人はそれぞれなんだから、人の理想を支配する権利なんて誰にもないでしょ??」というようなことをどうしても考えてしまうので、個人的には、それが例え、周りの誰もが認めてくれないような非現実的な理屈や行動であったとしても、自分の中の価値基準で自分なりの夢や理想を追いかけている人が好きです。


色々な生き方があったっていいじゃないと思いますしね。




ということで、僕は僕のリズムで、草をうまく生やしながらできる快適な農業像をこれからも作り続けていこうと思います。 草があるから野菜が沢山できるし、草があるから農業の芸術性が高まると思いますしね。



※最後に、にんにくやネギなどの作物って根が浅いこともあり、草との共生がしづらいかと思いきや、やっぱり根が強いのでしょうね。


生育後期はほとんど草負けしないので、周りの草と共生しやすいったらありゃしません。



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■人の力と少しの道具で成り立つ、シンプル&ミニマムな農業をモットーに、農園を営んでおります。

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