集中力を身に付けるという発想を捨てる。
今週は物凄い豪雨日がありました。
思っていた以上に短時間雨量が多かったことから、「里芋貯蔵用に掘った穴は、しばらくプール化してしまうだろうな…」と覚悟していましたが、雨後すぐに見に行っても全く水が溜まっておらず、自分の想像を遥かに超える高い排水力に驚かされました。
もともと水捌けがそこまでよくなかったことを知っている場所だからか、その確かな好変化を感じられたことが胸にじんときています。
「自分の知らない所で、自分の意思でコントロールすることができない類いの外的な活動や仕組みが、いつの間にか良き変化をもたらしてくれている」
このようなことに感謝できる時って、特別な贅沢感を覚えます。
話は変わって、先日、集中力についての書籍やコンテンツをあれこれと見ていたのですが、色々と新しい考えに触れることができ、何だか新鮮な時間でした。
(集中力の欠如に悩んでいるわけではありません(笑))
個人的に興味深さを覚える情報ばかりでしたので、なるべく多くを書き出したい所ですが、全部紹介しようとするとキリがなさそうなので、ここでは2つだけ書こうと思います。 まず1つ目に
「世の中には「自分は飽きっぽくて集中力が続かない」というような人が多いと思われる」みたいな分析があって、そういう人たちの特徴として、集中力がないということが思い込み化してしまって、「自分は集中できなくてあたり前」みたいなメンタリティに陥ってしまいがち。 ということに対して、「集中力を身につけるという発想を捨てよう」という考え方についてです。 これは、「脳は、環境がその時の自分にとって適正であれば自然と集中するようにできているため、集中力をつけることに勤しむよりも、脳が集中しやすい環境を作ることに力を注いだ方が効果的である」という考えになります。 集中できない時に無理やり集中しようとせず、自然に集中できる場所に身をおこうということですね。
この考え、個人的にはとてもよく理解できます。 会社とかでもよくありがちな、「自分の持ち味を発揮できない場所にずっと配属されていたらモチベーションも集中力も保てたものではない」ということにも通じるものがあるような気がします。
「自分が力をちゃんと注げることをやれているか??」、「そういうポジショニングできているか??」、「自分らしさを発揮できているか??」 みたいなことにフォーカスすることの重要性を考えさせられました。 もちろん、力を発揮できない場所で燻り続けたからこそ、核心的な領域に踏み込むことができるという可能性もあるので、適材適所が必ずしも奏功する訳ではないとは思いますけれど。 (孔子の思想みたいに、ハングリーな環境を経たからこそ洗練されていったと考えられているようなものもありますからね。) で、2つ目は
「メールのチェックはルール化した方がよい可能性がある」という考え方についてです。 これは、「メールが届いて、返信に1分もかからなかったとしても、その後、集中力が回復するまでにはさらに多くの時間を要するので、何度もメールをみたりすることでいつの間にか時間も集中力も奪われてしまうから、メールを見るタイミングをルール化して決めた方がよい」という考えになります。 これもめちゃくちゃ理解できますね。 僕自身も、何かをしながらスマホをチェックしたり、他のやりとりを挟んだりすると、目の前のことに全然集中できなくなりがちですしね。
映画を見たり、本を読んでいたりする時に、途中でスマホとか見ちゃうと一気に集中力が途切れてしまって、情報が全然頭に入ってこなくなったりしますしね。 インプットと集中力維持の相関性について深く考えさせられました。 で、今回言いたかったことをまとめると、「集中できない時は、環境や習慣の見直しで、劇的に時間を効果的に使えるかもしれない」ということですね。 自分の心に影響を与える外的情報や因子がめちゃくちゃ多い現代をスマートに生きていく為に、全集中という概念はとても大切なのかもしれないな……、と。
「鬼滅はもしかしてそういうメタメッセージもあるのかな??」みたいなことを考えさせられています(笑)
今日もお読みくださってありがとうございました。
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