豆仕事
そろそろ味噌作りの準備の季節です。
今年は昨年末の引っ越しの影響もあり、豆仕事が遅れに遅れていますので、現在、急ピッチで豆仕事を進めています。
とはいえ、急ピッチと言いながらも、今年も例年のように手仕事でパチパチと進めているくらいなので、他の農家さんから見たらただの遊び風景のようにうつるかもしれませんけど(笑)
「遊び」をコトバンクで引いてみると「活動自体が喜びや満足をもたらし,他から強制されず,自発的に行われ,通常まじめな目的や目標からの離脱が含まれている。」や「成人にとっては日常生活や仕事から生じる緊張をやわらげ,気分を一新し,疲れを休め,新しい生活意欲を高める手段としての効用がある。」
というようなことが書いてありますが、これに当てはめて考えれば僕のやっていることは大半遊びと言えるような気もしますので、そう映るのはむしろ光栄なことなのかもしれません(笑)
「なんで仕事としてやっているのにわざわざ手作業で??」というような疑問は度々投げかけられますが、僕は手仕事の奥深さやそこから得られる充足感に大きな価値を感じていて、そこに生の手応えと心も体も解放されるような高い自由度を感じています。それが、うちの仕事の主役が手仕事であることの根本的な理由です。
しかし、道具の便利さにより多くの工程をカットできることはそれはそれで素晴らしいことだと思っていますので、そこに対して思想的アンチテーゼを打ち立てることはあまり好きではありませんし、自分自身も「道具や機械を使わない」ということに固執しているわけでもなく、「自分が幸福感を得るために必要ないものはカットしているだけ」という単純な理由だったりもします。
 そんなことを考えていると、農業の道具に限らず「いまの時代にそれ使ってないのってどーなの??」のような、価値基準がある程度均一化してしまっているものって結構ありそうな気がしてきました。
うちの妻は携帯電話もスマホも持っていないのですが、それにより周囲からよく受ける「えっ!嘘でしょー??」のような空気感も同じようなものなのだろうと思います。 便利さと効率性がある程度確保されていることが大前提のフィールドに生きていると、便利なものを使っていない方がかえって不自然になってしまったりするから面白いものだなーとよく思います。
これはものにもよるでしょうが、その結果、資源やゴミの問題が加速度的に発展している可能性もあるということを考えると、使わないもの、やらないことを増やして幸福に生きていけるのだったら、僕はむしろそっちのが自由で効率良いと思いますけどねー。
ですので、決して周りに流されず、自分の信じた価値感はいつまでも大切にしていきたいものです。
誰かのルールもいらない。誰かのモラルもいらない。未来は僕らの手の中!!
大豆の話はどこに言ったのやらですが(笑)今年もお味噌作り、超楽しみです♪