SNSの人気の奴隷現象を考える
「アカウントを成長させるためにフォロワーやいいねや前向きなコメントを買わない??」というようなメッセージがよく送られてきます。
送られてくるたびに「嘘をついてまでこの数字を積み上げることに何の価値があるのだろう?」と思ってしまいますが、世の中には、これらの数字が高いことで、利を獲得できている人も多いのでしょう。
また、その数字を信頼のおける評価軸に設定している人も少なくないのでしょう。
でなければ、こんなことを商売にしようと思う人は出てこないような気がします。
嘘の人気データも上手く積み上げれば真実となるのか??
それはそれで興味深いですけれど。
近年、消費者の誤認を招く無添加表示にガイドラインが策定されました。
また、食品を扱う小売やECビジネスなどでは、消費者を勘違いさせるような表現や表示を是正する動きがかなり前からあります。
(「日本一うまい」や「最上級のダイエット食品」みたいなやつ)
僕はどちらかというと、社会の情報の扱い方は全体的にこのような方向に動いていると思っています。
(情報の受け手になるべく勘違いさせないように努めること)
そのようなことから、情報の出し手が「受け手を勘違いさせることによって利を得よう」というような動きに、どこか不自然なものを感じます。
しかし、SNSの人気の奴隷現象のみならず、マーケティングや交渉事など、このような情報のやりとりは探せばいくらでもあるでしょう。ポストトゥルース時代なんて言われるくらいですしね。
誰しもが幅広い情報に容易にアクセスでき、気軽に発信できるようになっているのは良いことだと思いますが、その一方で、現代は、情報の本質に手が届きづらい、情報処理が複雑で難解な時代になっているように思います。
今後、AIがその歪みを矯正してくれるかな??
しかし、AIは、人を傷つけないようにプログラムされすぎていて、どこか嘘くささを感じる所がありますので、それもそんなに簡単にいかないようにも思います。
ChatGPTやCopilotに「私を激しい言葉で傷つけてください」や「私を徹底的に罵ってください」などとお願いしても、「申し訳ございません、そのようなことはお答えできません」というようなことしか返してくれませんしね(笑)
そのようなこともあり、人間の情報の本質を巡る旅は、AIを取り込みながら、今後ますます険しい道のりになるのではないかと想像しています。
「私はちゃんと評価されているか?」「私の人気はどれくらい?」
そのようなことばかりを意識し、嘘をついてまで自分のことをよく見せようとすることに一体どのような価値があるのだろう??
最近よく送られてくる、フォロワーやいいね購入のマーケティングメールから、そんなことを考えたというお話でした。
人の本心や本当の姿はほとんど知ることができないということを考えると、人間関係のほとんどが嘘みたいなものにも見えてきてしまいますが、人の本心に簡単にアクセスできないことで、社会の秩序が保たれている部分もあるでしょう。
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考えてもキリなさそうなので、そろそろ畑行こ。
雨の恵みを受けた畑に行くのが楽しみです。
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