仕事の意味の意味
先日、自らの仕事の意味について思い悩んでいる人の話を聞く機会がありました。
自分は一体何をやっているのかな??
自分の仕事って何か意味があるのかな??
そんな感じのやつです。
自分も自らの仕事に対し、そのように思ってしまうような場面が度々訪れますので、そう思う気持ちはよく分かります。
そういったことに対し「意味なんて考えたって意味がないから、考えることをやめた方がいい」というようなことを言う人が時々いますが、私は、それをやや乱暴だと感じることがあります。
意味を考えることの意味の価値は、個人個人違うものだと思うからです。
また、意味を欲している人がニヒリズムに潜ってみた所で、簡単に解決できるものでもないように思っています。
とはいえ、私は「意味を問うことは素晴らしいことである」と思っている訳ではありません。
「意味には意味があり、その意味があるがゆえに人生は豊かなものになる筈である」というようなことが強迫観念的に作動している心の状態は極めて窮屈ですから、「物事の意味を考えることが良いことである」ということに縛られすぎないように気をつけたいなと思っています。
話を仕事の意味の話に戻します。
では、仕事の意味に向き合う上でどうするのが望ましいのか??
私はそれに対する絶対的な答えはもっていませんが、ヴィクトール・E・フランクルの
「なにをして暮らしているか、どんな職業についているかは結局どうでもよいことで、むしろ重要なことは、自分の持ち場、自分の活動範囲においてどれほど最善を尽くしているかだけだということです。」
という一言に尽きるのではないかと思っています。
※玉ねぎ、4月の頭には出し始められそうです。
一発目はマルチなしの型ですが、思っていた以上に収穫期が早いです。
比較検討ができないので、なんとも言えませんが、生育途中、カラスに踏み付けられまくったことが奏功の要因だったとしたら、それはとても嬉しい話です。
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