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前向きな意味を設定できた時、人はより生き生きと前に進むことができるのかもしれない。



先日、自分で事業を営んでいる友人と、仕事との向き合い方やお客さんとの関係性ついて、ゆっくり話をする機会がありました。


その友人は、ストリートカルチャーにどっぷりつかって遊んできた人で、若い頃は、やることなすこと人に注意されてばかりだったという話をしていました。


しかし、その時に一緒にバカをした仲間が、今の自分の仕事の大きな部分を支えてくれているようで、今好きなことで生活できているのも、当時の仲間や、そこに紐づいている人とのつながりのお陰であるという話をしていました。


いい話だなと思いました。


あの時出会った人との関係がまさかこんなことにつながるなんて〜、とか、


あの時にそんなつもりもなく読んだ本の知識が思わぬ所で役に立った〜 など、


その時にはどんな意味があるのかよく分からないことだったとしても、伏線を回収するかのように、後になって自分自身の中で新しく意味付けができることはよくあるものです。


他者に「魅力的」だと評価された人よりも、自身を魅力的だと思っている人のほうが幸福度が高かったという実験結果を紹介したコンテンツを以前見たことがありますが、自分の今までしてきたことに前向きな意味付けができた時にもそれと同じような反応が起こる傾向にあるような気がしています。


意味や目的を設定できなかったり、結果がうまくでなくて人に認めてもらえなかったりしても、そこに かもしれません。


過去の自分の行動にへばりついた劣等感のようなものに対し、前向きな意味付けができたというような話を目を輝かせてしていた友人を見て、そんなことを考えました。


※ネギの条間に播いた大根がでかくなってきたので、最近、慌ててネギを掘っています(笑)




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■人の力と少しの道具で成り立つ、シンプル&ミニマムな農業をモットーに、農園を営んでおります。

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