害虫の誕生とその歴史
昨日、キャベツや小松菜など、アブラナ科野菜の虫食い被害を見て、「農薬や防虫ネットなどの防除資材のなかった時代の人たちは一体どうやって対処していたんだろ?」ということが気になりすぎて、色々と調べていたら、「害虫の誕生」という興味深い書籍と出会ったので、即ポチ、即読みしました。
残念ながら、お目当てのアブラナ科野菜の実対策についての記述はありませんでしたが、個人的に興味深い記述だらけでしたので、印象的だった所を少しだけつまんで紹介したいと思います。
まず、害虫という用語自体が割と最近生まれたもののようで、明治以降、農業が経済的に成長していく上で邪魔者であった虫を人の手で排除するようになってから生まれた用語のようです。
人が知恵を得て、虫を害と益に二分化できるようになったということですね。
江戸時代では、原因のよくわからない害虫の大発生は、「天災」や「たたり」として認識されていることも多かったようで、害虫という言葉自体が存在せず、たんに「虫」と呼ばれていたらしいです。
その頃の農産物被害に対しての実対策は、お札を立てたり神頼みで駆除するという儀式的な方法が数多くとられていたようで、それらは明治に入っても極めて一般的で、地方によっては1950年代まで残っていたことも記録されているようです。
「よく分からない」というのは、いつの時代も怖いものだなと思いますが、実はこの例と同じように『「未来から見たら謎でしかない」という行為を現代の我々もやっているのかもしれない??』、ということを問うのは忘れてはならないような気がします。
皆様もご存知の通り、その後人類は、科学技術の発展や知の普及によって爆発的な生産力を手に入れる訳ですが、その変化の過程で、国家と民の間で激しい軋轢の数々があり、今の時代からみると、無慈悲で残酷ともとれてしまうような法制度が平気で制定されていたりもします。
中でも印象的なのは、1896年に制定された「害虫駆除予防法」というものです。
それは「害虫が発生するおそれがある場合には、農民たちに強制的に防除作業を命じることができる」という内容で、害虫防除をしない農民は罰金または勾留に処することが定められたものです。
ピーク時には、この法によって年間の逮捕者が6,000人以上にも達しただとか。
この法律が今も活きていたら、僕とか余裕で逮捕されそうです(笑)
上記のポイントを簡単にまとめると、国家によって確立された科学技術の知をもとに近代国家を目指していく中で、自然の均質化、産業の合理化が必然的に行われていった結果、民族的な風習や、先に述べた「神頼み」のような曖昧な習慣が徹底的に排除されていき、その流れの中で、多様な虫たちも、二分化&単純化されていき、害虫という概念が確立されていったという所でしょうか。
これは「有用で収量の多い品種を選び抜いて発展していった種苗業界」のことに当てはめても同じことなのだろうなと思います。
時の流れとともに、選抜、淘汰されるというのは、どの分野でも必ず起こることのように思います。
勘違いしてほしくないので一応言っておくと、僕は、均質化や合理化のせいで社会が悪くなっていったとは考えていません。
ですので、上記の情報を受け、「昔の人々は虫と共存していて自然に優しかった」などとは思っていません。
彼らが農産物を虫に食べられてしまい、どうにかしたいと思っていたことは間違いない事実でしょうし、その被害によって激しく死者が出たこともあるでしょう。
それを現代に当てはめて考えてみてもシャレにならないレベルなのだろうということは容易に理解できますし、だからとにかく神に祈ったのだろうと思いますしね。
また、彼らがエコロジカルとか生態系とか社会環境のことなどを考えていたわけでもないだろうと思いますし、「ただ分からなかったからそうするしかなかった」というだけであり、今と同じような選択肢があったら、現代的な振る舞いを選択したいと思う人も多いのではないかと僕は考えます。
江戸時代にただの虫であったものが、時代の変遷とともに強制排除対象の害虫というカテゴリーに変化していったように、私たちの社会や自然への価値観というのは、その時の必要性に合わせてそのカテゴリーを次々と変化させていきます。
その変化はあまりにも複雑で、「望ましいものか望ましくないものなのか」ということをピンポイントで簡単に定められるものでもないでしょう。
歴史を勉強していて「現代の目線で過去を評価することにあまり意味はなさそうだ」と思うことがよくありますが、害虫の歴史も人との関わりが深いことから、同じような感覚を覚えました。
当初の目的を忘れてしまうくらい面白い書籍でした。こういうセレンディピティがあるから、コンテンツ爆発時代には豊かさがあるなと思います。