踏み込み温床と日本文化私観。
踏み込み温床の季節です。
発酵に適した有機物を積み上げ、適当な水分を加えて混ぜたり踏んだりすると、生き物が発酵熱を生み出してくれます。
踏み込み温床は、その熱を利用して、寒い季節に苗を育てるための農業技術です。
僕はこのような仕組みを利用して農業生活ができることに喜びや美を感じています。
この技術について「江戸時代から続く伝統技術だから素晴らしいものである」というような、歴史的な優位性を含んだ捉え方をしている人に出会うことがあります。
僕もこの技術には美や利を感じていますので、「うんうん、踏み込み温床は現代でもとても魅力的だからね〜」と、そのように言いたくなる気持ちを理解できなくもありません。
ただ、僕は坂口安吾の日本文化私観に強く影響を受けていますので、伝統が伝統だからという理由であがめられていることや、明らかに優位であるかのように自己定義されていることに対し、やや懐疑的です。
そもそも、この踏み込み温床は、準備にも時間がかかりますし、管理もしずらいですしね。
電気を利用した方が確実に管理しやすいですし、栽培パフォーマンスも高いことは言うまでもありません。
うちは就農中期くらいまでは、踏み込み温床にこだわっていましたが、今は電気と踏み込み温床の両方を使って夏野菜の育苗をしています。
踏み込み温床は、副産物で腐葉土を生み出せます。電気は設置も管理も楽ちんです。そのような、それぞれの持つ利点を活かしたいと思ってそうしています。
以下「」内、日本文化私観からの引用文です。
「伝統とか、国民性とよばれるものにも、時として、このような欺瞞が隠されている。凡そ自分の性情にうらはらな習慣や伝統を、恰も生来の希願のように背負わなければならないのである。だから、昔日本に行われていたことが、昔行われていたために、日本本来のものだということは成立たない。」
※来週から果菜の種まきが本格的に始まります。今から楽しみでなりません。
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